エア猫飼育奇譚

猫を飼う野望を抱いて早幾星霜、すでに5年は経過した。昔からずっと猫との生活を夢見ているが中々実現しない。私は油断するとすぐフラリと部屋を空ける癖がある為、一人暮らしの身空では実際問題難しいのだ。コロナ騒動で自宅で過ごす時間は増えたが、今家によくいるから猫を飼うとゆうのも短絡的だろう。今後一生在宅ワークが出来て放蕩癖も今後一切断つならともかく、今この瞬間がどうでもあまり意味がないのだ。周りの猫好きも似たような境遇で「飼いたい」は何度も聞くが「飼った」という変化へ発展した者は未だ一人としていない。

あとは件の苦肉のシーライクマイホームを、猫の参入で純度100%陸にしてしまうのも、猫を飼う踏ん切りが付かない理由の一つだ。くだらない理由と思われるだろうが、部屋に猫グッズを置いたら最早潮は全く香らないだろう。猫に快適な生活を与えつつ、海を維持出来る気がしないのだ。まあ現時点で大して海を感じるような部屋を構築出来ていやしないのだが。

そんな訳で最近はイマジナリー猫を飼い始めた。狂人と呼ばれても構わない。名前は大体の場合、漱石と付けている。「大体の場合」とは、気分で猫の名前が変わるからだ。時折熊楠とか、神座とか、文太という名前になる。エアなんだから許されるだろう。なお、エア猫を飼う前に実際の猫を友人宅等で愛でさせて貰うと良い。本物に触れる事でガチ猫(エア猫の対義語)がどの様に動き、鳴き、存在を主張してくるかが理解出来る。エア猫最大の欠点は実体がない事だが、長時間ガチ猫を観察した後に自室に戻る事で角膜に焼き付けたガチ猫を投影出来る。影送りの要領と言えば分かりやすいだろう。

エア猫の飼い方は至ってシンプルだ。猫がいそうな空間を撫でる。以上だ。なんせエアなもんだから餌もトイレも玩具もいらない。ただ気配を感じればエア猫は既に「いる」のだ。そう、貴方の隣に、後ろに、肩に…。

 

ここまで書いてみたが、文章に起こすとまるきり狂人である。虚空を愛しげに撫でる成人がこの世界の何処かにいるなんて、全く世の中は色んな人間がいるもんだ。それが自分であるのもまた感慨深い。なぁ、漱石